こんにちは!飯田さん(@iida_shi)です。
当ブログや各種SNSを見て「飯田さんって誰?」と思われた方に向けて、私のことをもっと知ってほしくこの記事を書きました。
本名は飯田 慶太(いいだ けいた)。ネットでは「飯田さん」というハンドルネームを使用しています。
仕事の都合上により年齢は伏せています。
現在は海外ノマドとして世界各国を放浪しながら生活をしています。主な拠点は日本とジョージアです。
いわゆる場所にとらわれない生活ができているわけですが、決して順風満帆な人生ではありませんでした。
学生時代は特別教室で授業を受けるほど勉強ができず、大人になっても人より物覚えが悪く「お前はこの仕事向いてないからやめた方がいい」と言われ続けた時期もありました。
また千葉の実家を離れ京都へ越してからは、お金がなさすぎてスーパーでは割引シールが貼られた物しか買えませんでした。
しかし、そんな私でも諦めず自分の求めている生活を叶えるため挑戦を続けた結果、パソコンがあれば、いつでも、どこでも仕事ができる生活を手に入れることができたのです。
兄への劣等感
千葉県八千代市で生湯に浸かり、松戸市のネギ畑の近くで育ちました。
家族構成は、父・母・兄。
2つ歳が離れた兄は大学を卒業してから警視庁で働いている。
長男は自立させられて、次男は甘やかされる。
よくそういった話を聞くが、我が家は逆だった気がします。
兄は小学生の頃からいわゆるスポーツ万能型。
小学生の頃はソフトボール、中学では硬式野球。中学3年の夏から駅伝を始め、高校は駅伝の推薦のようなもので入学していたはずです。そして大学は箱根駅伝を目指して4年間寮生活をしていました。
小学生から大学にかけて兄の試合があるたびに、母は応援へ行き、私はお留守番。
幸いにも住宅街に住んでおり友人関係には恵まれていたため孤独を感じることはありませんでした。
しかし、スポーツに励む兄と比較して、私はゲームや友達と遊んでばかり。
学校の成績は5段階評価で2か3。
兄はスポーツで良い学校へ入るために塾へ通い勉強をする中、私は得意なことが何もない。
今でこそ自己肯定感の高さはエベレスト級な飯田ですが、幼少期はできる兄に対して優っていることがない自分に対して自信を持てずにいました。
小学6年生、当時好きだった子がいたバスケ部へ入部した。部員は男子1人だけ。
1人だけ男だという恥ずかしさもありましたが、自分がやりたいと思ったことはやらないと気が済まなった。
同級生からからかわれる覚悟を持っていたが蓋を開けてみたら「飯田すごいじゃん!」と言ってもらえた。
この頃からアウェイに飛び込むことへの恐怖はなくなった気がします。むしろ人と違うことをすることに快感を得るタイプで、それは今も変わっていませんね。笑
もちろん中学でもバスケを続けた。3つの小学校から人が集まる中学校で、そのうちの2校がバスケクラブがあったため、12人ほどいる集まった中で未経験者は2、3人だった。
県大会にも出場するそこそこ強い学校だったため、練習もそれなりにキツかった。
ただ仲間や先輩との関係は良好だったため、練習以外は楽しかった。
遊びに行く時は必ずバスケットボールを持ち歩いていましたね。
ある日、YouTubeを見ていると1本の動画に出会った。
ガビガビな画面越しからもわかる、奇想天外な動きをするバスケットボールプレイヤーたち。
バスケは5対5で行われるのが一般的だが、私は少人数でプレイされるStreetballに強い憧れを抱くようになった。そしてなんといってもアメリカという国の魅力を始めて知ったのがここだったと思う。
その時に見た動画がこちら。
とバスケ少年ではあり、千葉県大会へ出場したこともありますが、私はずっとベンチを温めていました。
そんなベンチだった私も、上級生含むチームの誰よりも特化していた武器がありました。
それが持久力です。
万年運動音痴だった私で、小学5年生までマラソン大会では42人中30位以下。
しかし小学6年生のときは10位くらいだった気がします。
それからみるみるうちに体力がつき、中学ではバスケ部の走り込みによって体力に磨きがかかり、中学1年生のロードレースでは市内2位。
そんな実績もあり、バスケ部を引退した次の日から駅伝部へ電撃入部しました。
7月から10月にかけてほぼ毎日20kmを走った結果、3ヶ月で3,000mのタイムを10:30→9:15へ伸ばしました。
人生において頑張ることへの基準値を作ってくれたターニングポイントがここです。
そして個人技で人に勝つことへの快感を始めて味わうことができた。
幼少期に抱いていた兄より劣っている自分を責めることは無くなりました。というより、責める暇がないくらいに練習がキツかった。
人が歩いていない道へ行く10代後半
しかしスポーツは克服しても、依然として勉強は全くできず。中学卒業後の進路を決める三者面談にて、中卒で働きたい僕と、高校へ行ってほしい親とで大喧嘩。
三者面談は中止になりました。
親の強い要望により、やむをえず高校へ進学。
「どうせやるなら負けたくない」という気持ちから高校ではバスケ部へは入りませんでした。
同時に、目的なく高校3年間を過ごしたくなかったのです。
そこで受験期に熟読していた「いちご100%」の影響から『映像同好会』を高校で立ち上げることに。
これが私が映像制作を始めたきっかけであり、のちに会社を辞めて独立する上で大いに役に立った経験です。
映像同好会を立ち上げた1週間後、同じクラスの気になっていた女の子が所属していた演劇部へ助っ人としてオファーをもらう。
200cmの近距離で芝居を見て、衝撃を受ける。
高校1年生の夏休みから、正式に映像同好会の運営と演劇部の二足の草鞋生活が始まる。
高校2年生の春、昼休みの日課だったバスケに熱中しすぎた結果、前十字靭帯を断裂。
半年間歩けなくなる。
松葉杖をつきながら役者をしながら、映像を制作する。
前十字靭帯の手術2日前、NHK杯全国高校放送コンテスト 創作テレビドラマ部門に出場。
千葉県大会、予選敗退。
高校2年生の冬、姥捨山をベースに作られた『楢山節考』という芝居で関東大会へ出場。
飯田は70歳を超えても死なないお爺ちゃん役として出演。
高校3年生の春、演劇部を引退し、卒業まで映像制作と学校生活に専念する。
卒業後は、大学へ行き教職員になるか、役者として芸を磨くか、英語を学ぶかで悩む。
進路に悩んでいるとき、たまたまブックオフで見つけた『ハードbut楽しい』という本と出会い、アメリカの学校へ進学することを志す。
渡航前の準備期間と称し、NIC International School in Japanという1年制のインターナショナルスクールへ入学。
学費を稼ぐために、早朝の新聞配達を同時に始める。
授業が全て英語、毎日8時間以上かけないと終わらないような膨大な宿題、朝1時から新聞を配り続ける生活を1年間継続する。
卒業後の進路は金銭面の関係でアメリカ進学を断念。
培った英語力を絶やさないためにも英語を使える仕事を探した結果、『人力車の俥夫』という職に出会う。
なお高校演劇部で同じ舞台に立った仲間たちは、お笑い芸人、アイドル、舞台俳優、アイドルのプロデューサーなどと独特で、再開するたびに刺激をもらっています。
コネなし、金なし、学歴なしの独り立ち
実家から通える浅草より京都の方が海外からの観光客が多く俥夫も足りていないという理由から、19歳の5月に単身で京都へ引っ越す。
えびす屋 京都嵐山總本店へ入社。
身体を動かすことが好きな反面、注意力が散漫な性格から喋りながら周りの車に気をつける運転に苦労する。
入社して半年間は毎日関西弁で怒られる日々。
1年目が終了したタイミングで、4ヶ月間北海道の小樽へ転勤が決まる。
全国から集まったベテラン俥夫たちから、営業や人力車の極意を教わる。
ガイドの勉強として読んだ『蟹工船』の影響で資本主義について考える。
小樽転勤が終了し、嵐山へ戻る。
小樽と嵐山とのギャップに違和感を抱き、フリーランスへの願望を抱くようになる。
稼げるからという理由だけで、フリーランスエンジニアを目指すようになり、そのステップとしてIT企業へ就職が決まる。
エンジニアとして京都の大手SES会社へ中途入社。
描いていた理想とのギャップに抑うつ状態になる。
エンジニアになりたいのではなく、自由な時間が欲しいということに気がついてから、副業として動画編集を始める。
翌月5万円を稼ぐ。
動画編集だけで食べていける自信につながり、会社を退職。
独立したらコロナ
動画制作のスキルを高めるため業務委託として結婚式のビデオグラファーとして活動するも、コロナウィルスが流行し仕事がなくなる。
同時期に知り合いからVyondの存在を教えてもらい、アニメーション制作を開始。
Vyondを学べる環境がなかったため、自分で触って、知ったノウハウを発信するようになる。
結果、約3ヶ月で1,000人の方に登録してもらえるYouTubeチャンネルへと育つ。
2021年の春、京都を離れ、実家の千葉と北海道の函館で国内ノマド生活を送る。
同年秋に東欧ジョージアへ移住。
ジョージアで知り合った人に会いにスペインへ。旅の魅力を知る。
2022年8月にジョージアを去り、10月からアニメーション制作をしながら世界一周の旅を開始する。
飯田ができること
- Vyondアニメーション制作
- ホワイトボードアニメーション制作
- Adobe Premiere Proを使用した動画編集
- Adobe Photoshopを使用したサムネイル作り
- 簡易ウェブサイト製作
- Udemy講座販売サポート
- Kindle出版サポート
- 海外渡航相談
- 良い感じの人間性を兼ね備えたフリーランスの紹介
- Vyondコミュニティ『KANATA』代表
- 『Vyondアニメーションの情報発信に特化したYouTubeチャンネルVyond攻略チャンネル』の運営(登録者数3,400人ほど)
- Vyondアニメーション制作で過去60社以上の会社と取引
- UdemyにリリースしたVyondの講座の卒業生は1,400名超え
- 海外ワークショップ『ノマドニア』にて講師を10回担当
- 著者「『Vyond(ビヨンド)』を使えば誰でも簡単にアニメーションが作れる」
- 著者「ジョージア移住の不安を無くす本」
- シナリオライター/Webライター/YouTube運営/コンテンツクリエイターなど