Vyondクリエイターの飯田さんって何者??

こんにちは!Vyondクリエイターの飯田さん(@iida_shi)です。

当ブログや各種SNSを見て「飯田さんって誰?」と思われた方に向けて、私のことをもっと知ってほしくこの記事を書きました。

飯田さんの実績

現在は海外ノマドとして世界各国を放浪しながら生活をしています。主な拠点は日本とジョージアです。

いわゆる場所にとらわれない生活ができているわけですが、決して順風満帆な人生ではありませんでした。

学生時代は特別教室で授業を受けるほど勉強ができず、大人になっても人より物覚えが悪く「お前はこの仕事向いてないからやめた方がいい」と言われ続けた時期もありました。

また千葉の実家を離れ京都へ越してからは、お金がなさすぎてスーパーでは割引シールが貼られた物しか買えませんでした。

しかし、そんな私でも諦めず自分の求めている生活を叶えるため挑戦を続けた結果、パソコンがあれば、いつでも、どこでも仕事ができる生活を手に入れることができたのです。

影響を受けたらすぐに行動!なんでも挑戦する学生時代

本名は飯田 慶太(いいだ けいた)。ネットでは「飯田さん」というハンドルネームを使用しています。
仕事の都合上により年齢は伏せています。

千葉県八千代市生まれ、松戸市育ち。

海外のカートゥーンばかりを見る幼少期を送る。
小学5年生のときに『秘密結社鷹の爪団』と出会い、将来フラッシュクリエイターを志す。

中学3年間はバスケ部として体育館を走り続ける日々を送る。千葉県大会へ出場したこともありますが、私はずっとベンチを温めていました。

そんなベンチだった私も、上級生含むチームの誰よりも特化していた武器がありました。

それが持久力です。

バスケ部を引退した次の日から駅伝部に引き抜かれる。3ヶ月で3,000mのタイムを10:30→9:15へ伸ばす。
頑張ることへの基準値を作ってくれた経験だと思っています。

スポーツっ子だった反動で勉強は全くできず。中学卒業後の進路を決める三者面談にて、中卒で働きたい僕と、高校へ行ってほしい親とで大喧嘩。三者面談、中断。

やむをえず高校へ進学。

目的なく高校3年間を過ごすことに恐怖し、当時熟読していた「いちご100%」の影響から『映像同好会』を高校で立ち上げる。
後のここでの経験が、独立する上で大いに役に立った。

映像同好会を立ち上げた1週間後、同じクラスの気になっていた女の子が所属していた演劇部へ助っ人としてオファーをもらう。
200cmの近距離で芝居を見て、衝撃を受ける。

高校1年生の夏休みから、正式に映像同好会の運営と演劇部の二足の草鞋生活が始まる。

高校2年生の春、昼休みの日課だったバスケに熱中しすぎた結果、前十字靭帯を断裂。
半年間歩けなくなる。

松葉杖をつきながら役者をしながら、映像を制作する。
前十字靭帯の手術2日前、NHK杯全国高校放送コンテスト 創作テレビドラマ部門に出場。
千葉県大会、予選敗退。

高校2年生の冬、姥捨山をベースに作られた『楢山節考』という芝居で関東大会へ出場。
飯田は70歳を超えても死なないお爺ちゃん役として出演。

高校3年生の春、演劇部を引退し、卒業まで映像制作と学校生活に専念する。

卒業後は、大学へ行き教職員になるか、役者として芸を磨くか、英語を学ぶかで悩む。

進路に悩んでいるとき、たまたまブックオフで見つけた『ハードbut楽しい』という本と出会い、アメリカの学校へ進学することを志す。
渡航前の準備期間と称し、NIC International School in Japanという1年制のインターナショナルスクールへ入学。

学費を稼ぐために、早朝の新聞配達を同時に始める。
授業が全て英語、毎日8時間以上かけないと終わらないような膨大な宿題、朝1時から新聞を配り続ける生活を1年間継続する。

卒業後の進路は金銭面の関係でアメリカ進学を断念。
培った英語力を絶やさないためにも英語を使える仕事を探した結果、『人力車の俥夫』という職に出会う。

コネなし、金なし、学歴なしの独り立ち

実家から通える浅草より京都の方が海外からの観光客が多く俥夫も足りていないという理由から、19歳の5月に単身で京都へ引っ越す。

えびす屋 京都嵐山總本店へ入社。

身体を動かすことが好きな反面、注意力が散漫な性格から喋りながら周りの車に気をつける運転に苦労する。
入社して半年間は毎日関西弁で怒られる日々。

1年目が終了したタイミングで、4ヶ月間北海道の小樽へ転勤が決まる。
全国から集まったベテラン俥夫たちから、営業や人力車の極意を教わる。

ガイドの勉強として読んだ『蟹工船』の影響で資本主義について考える。

小樽転勤が終了し、嵐山へ戻る。
小樽と嵐山とのギャップに違和感を抱き、フリーランスへの願望を抱くようになる。

稼げるからという理由だけで、フリーランスエンジニアを目指すようになり、そのステップとしてIT企業へ就職が決まる。

エンジニアとして京都の大手SES会社へ中途入社。
描いていた理想とのギャップに抑うつ状態になる。

エンジニアになりたいのではなく、自由な時間が欲しいということに気がついてから、副業として動画編集を始める。
翌月5万円を稼ぐ。

動画編集だけで食べていける自信につながり、会社を退職。

独立したらコロナ

動画制作のスキルを高めるため業務委託として結婚式のビデオグラファーとして活動するも、コロナウィルスが流行し仕事がなくなる。

同時期に知り合いからVyondの存在を教えてもらい、アニメーション制作を開始。
Vyondを学べる環境がなかったため、自分で触って、知ったノウハウを発信するようになる。

結果、約3ヶ月で1,000人の方に登録してもらえるYouTubeチャンネルへと育つ。


2021年の春、京都を離れ、実家の千葉と北海道の函館で国内ノマド生活を送る。
同年秋に東欧ジョージアへ移住。

ジョージアで知り合った人に会いにスペインへ。旅の魅力を知る。

2022年8月にジョージアを去り、10月からアニメーション制作をしながら世界一周の旅を開始する。

飯田ができること

  • Vyondアニメーション制作
  • ホワイトボードアニメーション制作
  • Adobe Premiere Proを使用した動画編集
  • Adobe Photoshopを使用したサムネイル作り
  • 簡易ウェブサイト製作
  • Udemy講座販売サポート
  • Kindle出版サポート
  • 海外渡航相談
  • 良い感じの人間性を兼ね備えたフリーランスの紹介

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